祖父の遺産相続を近くで見ていて

私には、優しいおじいちゃんがいました。
自営業をしていて、何人かの従業員を雇い、一生懸命働いていました。
朝は4時に起きて冷たい水で顔を洗い、工場に向かいます。
そして、夜7時ごろまでずっと働いていました。
おじいちゃんとおばあちゃんは遠くに住んでいたため、私たち家族は年に1度くらいしか会うことはできませんでした。
でも、学生の頃は長い夏休みがあります。
おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいるのは避暑地にぴったりの、涼しく過ごしやすいところだったため、麦わら帽子をかぶり、よそ行きの服を着て新幹線に乗るのがとても楽しみでした。
おじいちゃんは子供が好きで、会うといつも優しく迎えてくれました。
おじいちゃんの家には応接室があり、そこで商談も行います。
私の父親は会社員のため、父親が働いている現場の姿を見ることはできません。
そのため、おじいちゃんが実際にお仕事をしている姿をすぐそばで見ることができたのは、とても貴重な体験だったと思います。
そんなおじいちゃんが亡くなったのは、私が大学生の頃でした。
お仕事をしていた頃は、たくましい体つきをしており、木材を肩に担いでぶんぶん振り回していたほどでしたが、病院で見た姿は、肉が落ち、頬はこけて面影がなくなっていました。
その頃、おじいちゃんは既にお仕事を畳んでいました。
一緒にお仕事をしていたおばあちゃんが、ずっとおじいちゃんのそばにいました。
夜が来ると、病室の床に布団を敷いて寝ていました。
それは1か月ほど続きました。
その日、私は長い夏休みを利用して親戚の家にいました。
親戚の家は病院から近いところにあり、毎日みんなでお見舞いに行っていたのです。
その電話は夜鳴りました。
私は大学生になって初めて、身近な人の死に触れました。
それまで私は恵まれていたのだと思います。
お仕事が何よりも好きだったおじいちゃんは、70代の若さで亡くなってしまいましたが、今ではそれで良かったのかもしれない、と思っています。
お仕事をやめた後のおじいちゃんの姿が、うまく想像できないからです。
おじいちゃんには3人の娘がいて、遺産相続をしました。
長女である私の母は、姉妹の中で一番相続した金額が多かったと聞きました。
次女である叔母はその次に大きな金額だったそうです。
そして、3女である末っ子の叔母は、おじいちゃんの家を相続しました。
お金と不動産を比べたら、お金の方がありがたみはあったと思います。
末っ子の叔母から見たら、不公平感があったことでしょう。
おじいちゃんは、孫である私にもお金を残しておいてくれました。
それはまだ30代の私には多すぎる金額でした。
おじいちゃんの思いに触れ、感謝しつつ、毎日を大切に生きようと思いました。

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